週末の青山に行きました。ズーム会議の普及により、徒歩圏の下北沢より都心に行くことはまれになりました。たまに行くと都心は刺激的で、表参道は人で溢れかえり、かといってインバウンドに占拠されているわけでもなく、株価同様に景気の順調な回復を感じます。マリトッツォで有名な福岡発祥のベーカリー「アマムダコタン」が展開するドーナツ店の「I’m donut ? (アイムドーナツ?)」も相変わらずの行列で、その長さはもはや絶望的なほどです。たかがドーナッツ、されどドーナッツですが、食べれば一瞬で胃袋におさまるものに、そこまでの情熱を傾ける気持ちは今後とも起きなさそうです。ドーナッツを買うことではなく、列に並ぶことに何らかの意味があるのかとも考えてしまいます。空腹こそが最高のごちそうだと思っているので、食べ物にそこまでこだわる必要はない、という考え方はやはり異端なのでしょう。
月: 2024年2月
食文化の担い手
昨年ヒマラヤに行ってから雪山にのめり込む妻は、この時期の週末は家にいません。普段の料理は妻任せなので、自炊の定番は手間のかからない鍋になります。鍋は日が経つに従い熟成して味が深みを増しますが、毎日具材を追加して、味噌やカレー粉などで味付けを変えれば飽きることもありません。この季節の鍋は、体だけではなく心まで温めてくれる豊かな食事だと思います。健康的で美味しく、自宅なら落ち着いた雰囲気で食事ができます。満たされてしまうとそれ以上の欲求が起こらないので、外食のお世話になる頻度はわずかです。美味しいものを食べることが人生の喜びであるところまでは同意するのですが、家庭での食生活が豊かになるなら、外食への依存はおのずと低下していくのかもしれません。人々は一度インストールされた消費習慣には従順に従いますが、素晴らしい食文化の担い手は、第一義的には家庭のような気がします。
答え合わせをしない日本人
最近になっても身の回りでコロナ感染の声を聞きます。昨年5類感染症に移行してからは騒ぐこともなくなり、従来の土着ウィルスと同様に、たいした症状がなければ医者も普通に働いて良いと言うようです。未知のウィルスという不安が人々を恐怖に陥れ、むしろ風評被害の方が大きかった印象すらあります。マスメディアが重用する御用学者の言説と、政治家のパフォーマンスに扇動された国民のヒステリックな行動が、二次被害を広げたと思います。最近になってコロナ関連の本を読み返しますが、コロナの混乱がピークに達していた2020年の中盤頃に出版された本を読むと、誰が本当のことを言っていたのかを検証することができます。科学情報を冷静に解明すれば、歴史の証明に耐える真実を見抜くことができます。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことは日本人の特徴かもしれませんが、簡単にできる答え合わせをしない日本人は、何度も騙されることになるのでしょう。
セルフレジの勝算
ガソリンのセルフスタンドが普及したように、スーパーのセルフレジも急速に浸透しています。ミニスーパーのように、品出しをしている店員さんを呼ぶのが申し訳ないときは利用しますが、レジに人がいるときは有人レジを使うのは苦手意識があるからです。近所の西友は有人レジを閉めていることが多くセルフレジを使うのですが、バーコードのついていないアボガドが野菜の一覧ではなく果物に入っているなど使いにくさも残ります。学術的には正しくても、フルーツとしてアボカドを食べる人は少ないはずです。今でもトラウマになっているのがイオンのセルフレジで、最初にショッピングバックをフックに掛けることを要求してくるのですが、普段はザックを使うので、有人レジに行きます。セルフスタンドとの違いは万引きの増加懸念ですが、無人レジは正直者が多い日本だから成立するシステムなのかもしれません。
最も従順な顧客
先週は父の葬儀という慣れないイベントもあって、5年ぶりに風邪をひきました。コロナ禍がもたらした恩恵の一つは感染症対策をするようになったことで、症状は軽く喉が痛む程度ですから、眠れば治ります。子供の頃に風邪をひくと、すったリンゴを食べさせてもらった記憶がありますが、昔は風邪を民間療法で治したものです。今では多くの医師が自然治癒力を活用しますが、それがオカルト扱いされていた時代はそれほど昔の話ではありません。忙しい現代人は相変わらず薬に頼りますが、薬によって治ったと思っている症状の大半は自然治癒力によるものだと思います。薬が無害なら良いのですが、薬の効力は全身に及び、高齢者のほとんどは薬を止めるだけで体調が改善すると主張する医師もいます。人の不安を利用して必要以上に売り込み巨大化した製薬業界は大きな政治力を持ち、権威に弱い日本人が最も従順な顧客なのでしょう。
首都圏に近い秘湯
週末に南会津の古民家に行ったついでに木賊(とくさ)温泉に行きました。家から2kmほど上流には、風情のある共同浴場4ヵ所を持つ南会津屈指の温泉郷、湯ノ花温泉があるのですが、そこから車で5分ほどの渓流沿いに木賊温泉共同浴場岩風呂があります。木賊温泉は、かつて秘境と呼ばれていた檜枝岐の手前にあり、秘湯マニアの間では知られる温泉地です。近所にあった共同浴場が2021年に閉まり、唯一の共同浴場となりましたが、西根川の氾濫による被害から何度か休業してきました。千年以上続く秘湯は、空気に触れることのない44.8℃の源泉が足元から湧き出ています。巨大な岩風呂は約42度と40度の浴槽があり、混浴ながら開放的で居心地のよい場所です。以前は秘湯と言えば、秋田や青森まで遠征していましたが、首都圏に近い秘湯風情を残すかつての秘境は、最近最も気に入っている場所です。
なるべくオリジナルに
週末にかけて、白河と南会津の古民家を設計の方と見ました。白河の家は戊辰戦争以前からあり、160年程は経っていることになります。一方南会津は明治期中頃とされ、それでも130年の年代物です。手作りされ、一軒一軒が異なる表情を持つことが古民家の魅力だと思います。古民家は代替わりのたびに改造が施される傾向があり、160年以上の時を経た白河の家の場合、天井部分は戦後に近代化されています。戊辰戦争で甚大な被害を受けた白河では、今でも「戦後」は大東亜戦争ではなく戊辰戦争を指すことがありますが、ここでは先の大戦以後の改修です。この建物が戊辰戦争の戦火に加え、周辺の家が全半壊した東日本大震災をくぐり抜けたのは、平屋構造で屋根を近代的な構造材により補強されていたからかもしれません。昭和52年に増築された浴室部分は、今回の改装では解体せずに使いますが、なるべくオリジナルの姿に戻したいと思います。
問題は過大な期待と投資
昨日は白河市から、南会津町のサウナ建設予定地に移動しました。雪のない白河から一転して膝のあたりまで雪に埋もれる豪雪地帯に来ると、屋根からは40cmほどの厚みにたまった雪が落ちています。冬季オリンピックの開催可能場所が10か国程度にまで減るなか、IOCは開催に苦慮していますし、ニセコ、白馬、妙高といったパウダースノーが降るエリアはインバウンド垂涎の的です。今までは厄介者扱いされてきた雪が、世界的には貴重な資源に変わりつつあります。雪を求めるのは9度以下の水温の水風呂や、凍った湖の厚い氷に穴をあけ、サウナで温めた体を冷やすアヴァントを楽しむサウナ愛好家も同じです。サウナブームによって日本のウィンターシーズンの行楽地は、一気にオンとオフが逆転したようにも見えます。問題なのは過大な期待をして、過大な投資をすることでしょう。
ともに年を重ねて行きたい
昨日は改修工事の始まった白河の古民家に来て、近隣挨拶をしました。戊辰戦争以前からある家と聞いていましたが、付近は戊辰戦争の戦局に大きな影響を与えた白河口の戦いの激戦地に近く、大半の付近の家は新政府軍側が火をつけてまわり焼かれたそうです。神社に隣接するこの家だけが唯一燃えずに残り「神が守った家と祖父から聞いた」という話を隣家の人に聞きました。東日本大震災で周囲の家の多くが全壊、半壊したときもこの家は生き残りました。われわれは新しいモノほど優れていると考えがちですが、明治維新や戦後の経済成長は多くの先人の知恵を埋もれさせたと思います。現代人は科学を信奉し機械の正確性を疑いませんが、マシンカットされる以前の木造家屋の価値は、決して懐古趣味だけではないのかもしれません。新しいものに飛びつくのではなく、今はともに年を重ねて行きたいと思えるものと暮らしたいと感じます。
歳を意識すれば老いる
父の人生を振り返ると、平日は浴びるように酒を飲み深夜に帰宅し、週末は仕事と称するゴルフという典型的な昭和の企業戦士でした。中年まではトイレの壁が黄色くなるほどのヘビースモーカーで、長年糖尿病を患ったわりには92歳8か月という生涯は、大往生とみなすこともできます。他方で、父が10年以上にわたり高齢者施設にお世話になり、この間は健康寿命に含まれないのに対して、葬儀に参列してくれた妻の父は同い年ながら、今も生活の全てを一人で行います。二人とも大手製造業の営業という似た仕事で、妻の父も酒が好きで比較的最近まで喫煙をしていたことも同じです。最大の違いは妻の父が年齢を意識していないことです。年初、家に行ったときも、こちらが躊躇するような高所の脚立に立ち、夏ミカンをもいでいました。加齢が人を老いさせるのではなく、歳を意識して体を動かさなくなることで老いるのだと思います。