確定申告で両親の医療費を計算するとかなりの金額になります。生涯これらを払い続け、さらに不健康に伴う逸失利益を加味する必要があります。昔TEDに出たホリエモンが、生涯のうちに家族を持つと65百万、家に60百万、車に42百万、結婚に5.5百万、合計172.5百万を手放すという話をしていました。しかし家を持たないホリエモンはホテル暮らしですからこの計算にさして意味はありません。一方、健康なら医療費に加え、施設のグレードによっては簡単に億を超える介護関連コストを回避できます。人生最大のコストは間違いなく不健康であり、健康ならQOLを高め、何事に対しても生産的になれます。しかも多くの場合健康を得るのにお金はかからず、食べ過ぎを戒めれば食費は浮きますし、屋外での運動など健康的なレジャーの大半はお金がかかりません。社会がこれほど不健康を奨励するのは、そのビジネスの大きさを物語っているのでしょう。
月: 2023年2月
狂気か正気か
週末は、妻が雪洞キャンプをしに北アルプスに行きました。寒い季節にわざわざ雪山に出かけ、必要もないのに雪洞を掘って寝るなど狂気の沙汰ですが、妻いわく静かで良く寝られ最高とのことです。キャンプの魅力に都会的な快適さを加えたグランピングは、市場の裾野を広げました。自然と人工空間双方の長所を盛り込んだ良いとこ取りのグランピングが下火に見えるのは、本質的な魅力が色あせたからだと思います。自然が持つ原初的でピュアな喜びは、快適さとトレードオフの関係にあります。都市の世俗生活や地位財重視の物質至上主義に浸っていると、豊かな自然とのつながりが見えなくなります。現代人が正気を取り戻す唯一の方法は、かつての日本人にとっての信仰の対象であった、生命力に満ちた自然の懐に入り、生かされていることを自覚することかもしれません。
サウナ不要論者のサウナ
気温が暖かくなり困るのは、シャワーの水温が上がることです。サウナ好きでサウナ事業を考えていますが、「ととのい」が目的なら自宅の風呂で事足ります。43℃程度の浴槽で汗を流し、直後にこの時期いわゆるシングルの水温になるシャワーを浴びると温冷交代浴によりサウナ施設に行かなくても自律神経が整い、脳疲労が解消されます。自宅の風呂は屋外のドライエリアに面していますので、浴槽、シャワー、外気浴スペースが2歩で完結する完璧なレイアウトです。さすがにインフィニティチェアを置くスペースはありませんが、それ故よほどのサウナ以外にお金を払う価値を感じません。事業化したいのは普段使いのサウナですが、一方で平凡な施設ならやる価値はありません。サウナ不要論者がサウナを考える利点は事業計画へのストレステストだと思います。自宅にサウナができる時代に必要なのは、自己否定から始めることかもしれません。
消費崇拝こそが悪魔
ウクライナ侵攻から1年が経ち、毎日のように命が失われ、恐怖のなかで懸命に生きる国民がいることに実感が湧きません。ベトナム戦争のときも、イラク戦争のときも、そして数えきれない世界の軍事衝突も記事や動画が伝える情報に過ぎません。普段と変わらぬ平和な朝を迎えることに、日本人は有難さを感じず、一方で戦争は、指導者の狂気でいとも簡単に始まります。人の幸せを踏みにじる悪魔的な所業ができるのは、すべてを根こそぎ奪い去る際限のない欲望を持つからかもしれません。布団に入り眠りにつくとき、山のなかで自然を愛でるだけで幸せなのに、与えられた価値観と私的欲求に突き動かされ、経済をまわすために生かされている現代人は、消費対象の微細な違いを幸せだと考えます。神だと思って招き入れた消費崇拝こそが悪魔で、感性を磨けば平凡な日常に喜びを見いだすことができるのでしょう。
単身者用冷蔵庫が体型維持の秘訣?
気候が暖かくなり困ることは、我が家の天然の冷蔵庫である、地下のドライエリアが使えなくなることです。友人宅からもらってきた菊芋や大根、妻の実家の柿や夏ミカンなどを冬の間保管しています。昨年福島県で仕入れたリンゴ3箱も3か月かけて消費しました。大量に仕入れた野菜や果物を備蓄する暮らしは災害にも強く、安心をもたらします。一方で手近に食品があれば、必要を超えて食べてしまい生活習慣病という悲劇を生みます。あれば食べるという習性は飢餓時代の記憶であり、あらゆる慢性疾患と関係します。食料の保管ができる冬を過ぎると、夏に向けて野菜の値段もこなれますので、ドライエリアは野菜を天日干しするスペースに変わります。我が家の冷蔵庫は仮住まいから引き継ぐ単身者サイズですが、屋外を活用することで3人の暮らしに過不足なく、それが体型維持に貢献するのかもしれません。
体験的に学び合う共同体
知的障がい者施設で朝の仕事をするようになり3週間が経ちます。仕事は単調に見えて、利用者と職員は答えのない課題について体験的に学び合う共同体に見えます。意思を的確に伝えることができない利用者の想いを受け止める日々は、現代人に一番欠けている相手が何を伝えたいのかを汲み取る知的作業です。自己責任論がまかり通る世知辛い世の中ですが、自立と福祉のボーダーライン上で苦しむ人は少なくありません。相手を理解するために、もう一歩踏み寄ることができるなら、世界はよほど住みやすい場所になることでしょう。仕事の学びに勝る刺激はなく、脳は慣れ親しんだ環境から離れることで向上し、新しい学びによる脳への刺激は、認知症リスクを75%低下させるとの研究もあります。しかし、最も魅力的な刺激は、事故の危険にあいながら、報われることがなくとも常に相手に寛容でいられる、自己犠牲をためらわない職員の姿勢です。
リスキリングは体力から
クライミングの練習をするという妻と近所の公園に行き、数十年ぶりに懸垂をしました。20世紀まで行われていた学校のスポーツテストの項目には懸垂が含まれていましたので、鉄棒にぶら下がるのはおそらく小中学生以来です。普段は上半身の筋肉を使う機会はないのですが、まがりなりにも10回は上がります。第四次産業革命に対応するデジタル分野を中心に、リカレントやリスキリングが話題になりますが、長い仕事人生を生き残るのに必要なのは体力だと思います。体力がなければ新しい分野に挑み、自分のスキルをアップデートしようという気力や集中力が起きません。年を重ねると体力が低下するのは加齢が原因ではなく、その必要がなくなるからだと思います。忙しい現代人はエクササイズをするための時間も余力もありませんので、日常生活の中でこまめに体を動かし、身体活動量を確保することが大切なのでしょう。
人間本来の暮らし方
近所の早咲きの桜が咲き、芽吹きの季節が始まりました。律儀に花粉症まで戻って来てしまい、同病の人と話すと決まって良い薬を教えてくれます。しかし、薬に依存し続けることは避けたいですし、自分の体に決まって起こる症状は薬に頼らず治せると思います。花粉症は他のアレルギー疾患同様、無害なものにリンパ球が抗体を作る自己免疫疾患で、薬に頼らない方法は、口呼吸により花粉を取り込む免疫寛容、ビタミンDの合成、腸内環境の改善などがあります。車や電気を使わない昔ながらの生活スタイルを守るアーミッシュや、気候も人種も同じ東西ドイツのうち都市化が遅れた東ドイツで花粉症が圧倒的に少ないことは、人間本来の暮らし方を逸脱したときに病気が起こることを示しています。あらゆる不調は、人間らしい生活を取り戻せという警告なのでしょう。
食べなければ死ぬ?
トルコ・シリア大地震で、278時間ぶりに40代の男性が救出されました。飲まず食わずで生き延びられる限界とされる72時間の壁は、阪神・淡路大震災を契機に使われ始めた用語です。人は呆気なく死ぬもので、定年退職して2、3年のうちに相次いで没した人を何人も知っています。老後は呑気に暮らしたいと思った途端に衰えが始まり、体力や生命力が急速に失われるのかもしれません。一方、驚異的な生命力で不死身のような人もいます。運命と言えばそれまでですが、寒さや飢えのような生命の危機に際し、動物本来の生命力が呼び覚まされ、逆境こそが生命力を高揚させる最大の因子だと思います。72時間で生存確率が著しく低下するのは、食べなければ死ぬという思い込みを持つからで、その4倍もの時間を生き延びた人は、おそらく普通の人が持つ信念体系から自由だったのでしょう。
働くことそのものが自由
学生時代以来のアルバイトは生活に潤いを与えます。非正規雇用を下に見る洗脳が染みついていましたが、見える世界が変わります。アルバイトの語源は仕事を意味するドイツ語に由来しますが、むしろ働く本質に近く、世の中にフルタイムで働く必要のある仕事などあるのだろうかと思います。平日朝だけの勤務ですから給与は少額ですが、働くことからお金の優先順位を下げると、そこには自由な世界が広がります。自己管理が不得手な自営業者にとって、定時に出勤する習慣は生活を引き締め、知的障がいという未知の領域を学ぶ機会になります。好きな運転に加え、富士山を望む屋上でランニングまでできるのは役得でしょう。わずかなバイト代にしても、お金の大切さを学ぶ機会になります。働くことの本質は社会や誰かとつながる喜びであり、「自由のために働くのではなく、働くことそのものが自由なのだ」という先人の言葉を思い出します。