
昨日阿蘇のパワースポットの投稿をした直後からフェイスブックのレイアウトが変わり、投稿もコメントも人の投稿へのリアクションもできなくなり、スマホでコメントを書きました。これは祟りか超常的な何らかの警告かフェイスブック社のアルゴリズムによる作為なのか、一度は投稿削除も考えましたが一晩経ち復旧しました。意外なのはこうした非常識な投稿が冷静?に受け止められることです。
ぼくが「常識」という言葉に疑問を持ったのは30代で米国系コンサルティング会社に転職したときです。「それって世間じゃ通用しないから常識って言わないでくれる?」と同僚に指摘されたのはちょっとした衝撃でした。以来自分の考えや意見を批判的に考える癖がつきました。同時に自分の意見を主張できなくもなりました。物事には光と影があり、その良否はだれがどの時点で何を基準に評価するのかによって結論が異なります。ですから政策に対する意見など聞かれても、「どちらとも言えない」と答えます。

昨夜は阿蘇に宿泊しました。会津や那須の山々とは全く異なるスケール感のある雄大な外輪山に圧倒されます。場所が変わり空気が変わると思考の枠組みも変わります。普段と異なる環境で、にわかに脳が活性化されていきます。昨今では転地療養という言葉を聞く機会も減りましたが、異なる土地での気分転換こそ、AI時代の働き方の前提条件だと思います。その点で地域の自然に触れることは極めて重要だと思います。写真はまだ雪をかぶる南アルプスの上空です。


桜の季節が終わる東京から花粉症のない新甲子温泉に戻りました。汗ばむほどの東京とは打って変わって、南湖神社の冷たい朝の空気が心地よいです。福島では桜前線が福島、郡山、白河と南下すると言われていて、昨年の白河の桜は4月15日前後がピークでした。二度花見ができることも二拠点居住のメリットです。10日間を過ごしたハノイが生きる活力と若々しい刺激に満ち溢れているのに対し、東京は少し落ち着いた大人の刺激があり、静けさに包まれる阿武隈源流は自身と落ち着いて向き合いたくなります。それぞれの土地で脳の思考回路が変わることも多拠点居住のメリットだと思います。ぼくが福島で旅館を買ったとき、「骨を埋める覚悟がなければうまくいかない」と助言する人もいました。その意見は一面真理なのですが、他方でそうした窮屈さが地方から若者を遠ざけてきたと思います。今人をひきつけている地域は徳島県の神山町にしても出入り自由のおおらかさがあります。
ほとんどテレビを見ないぼくが見る唯一の番組はNHKの「GREAT RACE~グレートレース」です。オリンピックも含めて見るスポーツには関心がないのですが、体力と気力の限界を超える長距離レースを扱うこの番組だけは特別です。番組が追うランナーのなかにはぼくのような普通のランナーも多く、彼ら彼女らの肉体的な辛さや心の葛藤がリアルに体に伝わります。疲労困憊したランナーが転倒するとあたかもその痛みが体を走り思わず身を縮めます。番組を見終わると体を動かしたくなり、生きる力のようなものが沸いてきます。スポーツの力は偉大だと思います。
つらい花粉症の季節が続きます。しかし以前のように花粉症を悲観することがなくなりました。花粉症を避けるなら先日行ったハノイや宿のある新甲子温泉に移動すれば済みます。幸福を感じる上で重要なのは自由だと思います。働く場所さえ選べない現在の労働者を、後世の人は奴隷のように見るかもしれません。少し前なら理想論でしたが、今は飛行機の上でもスカイプで会議ができる時代です。働き方改革は企業の思考の固着を壊し、同時に自由と責任の覚悟を働く人に求めるものだと思います。
コワーキングスペースやシェアオフィスなるものがやたらと流行り、小奇麗で小洒落たオフィスを目にしますが、いつも「何か違う・・」と思います。昨日ミーティングをした都内某所のオフィスは、昨今の流行とは一線を画すものでした。半屋外のような柔らかな陽射しの降り注ぐ倉庫を改装したスペースは、花粉症で思考停止していた脳細胞がにわかに動き始める空間です。作り手の思いやセンス、審美眼といった、企業が一番苦手とする領域が勝敗を分ける時代が始まったと思います。