昨日は関ヶ原の古戦場に行きました。先日沖縄戦の激戦地の嘉数や前田高地を見ましたが、新都心としてビルが建ってしまったシュガーローフと違い今でも当時の様子を想像することができます。420年前の古戦場ながら、関ヶ原の地形も当時と大きく変わっていないと思われます。石田三成の陣地となった笹尾山に立つと東西で15万とされる軍勢が衝突したとは思えないほど両軍の配置は近く激しい戦闘だったことを想像させます。兵力においても、東軍を取り囲む西軍の布陣を見ても、戦いの結果を知らなければ西軍の勝利を確信すると思います。東軍への内通や戦況を傍観する西軍武将の日和見がなければ徳川の治世はなかったはずです。幕末の長州が決死の覚悟で徳川幕府に立ち向かったのは、関ヶ原で毛利が一丸となっていたなら家康に勝てたと言う苦い反省があったからとされます。西軍が壊滅し総崩れとなるなか関ヶ原を埋め尽くす東軍諸隊は石田、島津の軍勢に押し寄せたと言われます。専守防衛の島津は敵味方構わず討ち払い、家康本陣を横切る敵中突破により大きな被害を出しながら薩摩に戻ったとされますが、268年後に長州と薩摩が倒幕の原動力となったことは歴史の必然だったのでしょう。