昨日は近所の築地本願寺和田堀廟所に墓参しました。本堂では毎朝7時から法事が行われ、静寂な本堂にリズミカルな読経が響きます。週末の朝聞く読経に癒され、経本を見ながら声を出すことも健康に良さそうです。読経をしていると、仏教二千数百年の歴史において、その教えを連綿とつないできたのは、経典ではない気がします。漢字が読めない現代人に限らず、一般庶民がその意味するところを文字から理解することは困難です。「唯可信斯高僧説」は親鸞が選定したインド2人、中国3人、日本2人の七高僧について、「ただこの高僧の説を信ずべし」という意味ですが、時代が変われば人を媒介とした解釈が必要になると思います。しかしその意味するところは、七高僧の教えを鵜呑みにすることではなく、高僧と同じように、教えを自分の内面に受け入れることが重要なのでしょう。