学位の形骸化という歪

昨日は日本工学院に行きましたが、一限リモート、二限対面の授業はポストコロナ時代の授業を考えるのに役立ちます。学生から積極的なリアクションが得られないとしても、対面授業はチャットだけのリアクションよりはるかにましです。ディスタンス・ラーニングは衛星放送の時代から普及しますが、一部の学生が布団のなかで授業を受けるなど、惰性で受講する学生にとっては授業から遠ざかるきっかけになります。学位の形骸化という社会の歪が解消さない限りこの矛盾は続きます。学びが本来的な意味を取り戻すなら、対面授業の重要性は増し今より少人数の対話形式のものへと変わっていくはずです。知識以上の熱量を伝える場でなければ対面授業は意味を失い、学ぶ意味を伝え学びたいと思わせる重要性が増すならリモート授業には限界があります。アリストテレスは風光明媚な森に自らの学校リュケイオンを開きその散歩道を歩きながら少人数の講義や議論をしたと言われ、学びの場としてゆらぎのある屋外は理想的です。生涯学ぶ時代には旅行をしながらの集中講義などその形態は多様化していくはずです。

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