幸せの屋上屋を架す

18年前の今日は大阪にいて、昨日のように日中は暑く珍しく空気の澄んだ一日でした。ホテルの客室から見た瀬戸内海を、キラキラと照らしながら西に沈む太陽が上空の雲を美しく照らす光景が印象的でした。2機の767が貿易センタービルに激突したのを知るのはその4時間後の緊迫したニュース番組です。一種のトラウマなのかその日の情景はよく記憶しています。当時勤めていた米国系企業の社員3名が犠牲になったことは後日知りました。悲劇が起こるたびに、あるいは週末に首都圏を直撃した台風の影響による不便な生活も同様ですが、当たり前の日常生活の有り難さを人は忘れます。すでに十分満たされていることを忘れ、何事にも人と自分を比較しさらなる幸せを求めて屋上屋を架そうとします。ことに仕事での成功を人生の成功と捉える傾向が強い日本人は、その尺度を金に求めます。金に置き換えられない日常生活の充実はいつも片隅に追いやられ、SNSは幸せを誇張するメディアとして執着を拡散します。誰もが幸せを目指す権利は当然視されますが、いびつで野放図な幸せ追求の一方で、毎日同じ満員電車に乗るような不幸は一向に改善されません。

Translate »