高級という野暮

あおり運転が注目されたのは容疑者のステレオタイプの高級志向です。おそらく彼が幸せでなかったように、高級であることと幸せの間には相関関係も因果関係もないと思います。高級車、高級ホテル、高級レストランに共通する出自は支配階級の生活の模倣ですから、自分の内面とは無関係に得られる幸せは野暮で継続しません。高級に理想を求める思い込みは刹那的な幸福と、それよりはるかに長い欠乏の時間を与えます。多くの人が最晩年に後悔するのは自分らしく生きなかったことです。社会が規定する高級という尺度に囚われて生きると、そこには自分らしさの入り込む余地はありません。街中で車と乗っている人を観察すると、偏見も含まれますが高級車に乗った人はどちらかと言うと憂鬱に見え幸せそうではありません。記憶に残る車は以前都心で見た、駄作だと思っているフィアットの2代目パンダです。4人の中高年の男女が小さな車内でさも愉快そうに談笑していて、開け放たれた窓から見えたカジュアルな服をたなびかせながら走り去った光景が印象的でした。高級と言おうが上質と言おうが同じことで、外部の尺度を用いた瞬間に審美眼の無さを晒すだけだと思います。

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