自然の元で働く

夏を感じさせる那覇から冬のような寒さの東京に逆戻りすると日本列島の大きさを感じます。例年ですと3月下旬には花粉症が収まるのですが、今年は長引くのかもしれません。テクノロジー進化によって、固定された職場から解放されればどこにいても同じように生活でき、理想の働き方を叶えます。クリエイターを名乗る人はたくさんいますが、その本質は自分で仕事を作り出せることでしょう。四半世紀のリモートワーク歴で得た結論は、仕事の締め切りが間近にありさえすれば、働く場所はどこでも構わないと思います。ただし、生産性の低い場所をあげるならそれはオフィスと図書館です。オフィスは知人が近くにいるために気が散り、図書館は静かすぎて小さな音でも気が散るからです。脳の血流が著しく低下するこの季節こそ避粉地に職場を移すべきでしょう。非接触が奨励される社会では遠隔化の技術が進み、空も空気もきれいな本来あるべき場所で働くことが可能です。自然の元で働けば、人工的な空間に意識を沈めていくことの危うさを感じられると思います。

加齢が楽しみ?

東京ほどに暑くも寒くもない沖縄は、台風直撃や塩害被害などはありますが、住みやすい場所だと思います。それゆえ米国型食文化が流入する以前は、長寿地域である世界の代表的なブルーゾーンの常連です。早めに予約をすれば航空券は驚くほど安く、海外に行けない今は避粉地だけにしておくことはもったいないと思います。沖縄と言えば離島のリゾートなどに憧れますが、那覇近郊の都市インフラの整ったエリアでも海の美しいところはあります。国際通りの雑踏からそう遠くない場所にも自然が残り、神がたどり着いたとされる拝所は至るところにあります。神代から続く信仰心は、健康との間に因果関係を見つけることができるかもしれません。アニミズム的な自然崇拝や土着的信仰に基づく琉球神道は今も健在です。歳を重ねるほどに幸福感が高まるとされる、いわゆる老年的超越は高齢期に物質主義的で合理的な世界観から、宇宙的、超越的な世界観への変化に起因する説が有力です。沖縄に住むと加齢が楽しみになるような気がします。

市場の萌芽は業際に

帝国データバンクの景気動向調査によると旅館ホテルの先月の景気DIは3カ月連続で悪化し、2カ月連続で51業種中の最下位となりました。疫病騒動に加え、不穏な世界情勢や燃料価格の上昇、インフレ懸念など悪材料が多く、個人消費関連が下向いたかっこうです。観光依存の高い那覇では休業中の飲食店やホテルが多く、良い材料を見出すことが困難です。世界で同時多発的に起こっていることは事業戦略におけるシナリオ策定の重要性を認識させます。数年前の北海道や沖縄での不動産バブルは明らかに行き過ぎで、熱狂しているときは供給過剰に気づきません。どの業界にも相場が乱高下する一定周期のサイクルがあり、需要増加、相場上昇、供給過剰、相場下降を繰り返します。しかし、景気は循環し嵐が過ぎればまた春を謳歌できると楽観視しない方が良いのは、繰り返される自粛により消費のあり方が変化しているからです。市場環境の変化は危機とともにビジネス機会をもたらし、ホテルで言うならワンルームマンションとの業際に市場の萌芽を見出せるのでしょう。

模倣できないことが強み

那覇の商店街を歩いていると星野リゾートの催行するツアーに出会います。都市型観光という新境地を開拓するOMO5沖縄那覇が提供するもので、ローカル色の強い行きつけのスーパーである、フレッシュプラザユニオン前島店もコースに入ります。見知らぬ街に行くとスーパーに入ることを楽しみますが、独特の食文化を垣間見られるスーパーは立派な観光資源です。星野リゾートの強みは、変に力が入っていないのに卓越していて、迎合するわけでも押し付けるわけでもないのに、圧倒的な人気でREITが利回りを出せます。市場の欲しがる最大公約数を高値で売るマーケティングの秀逸さは戦略のハイライトですが、実はあまり参考になりません。多くの成功事例は見れば売れる理由が分かり模倣が可能ですが、星野リゾートの場合はそこまで熱狂的に支持される理由がよく分かりません。後講釈でその強さを分析することはできても、再構成して模倣しにくいことこそ真の強みかもしれません。

終わらない戦後

村としては人口日本一の読谷村にあるシムクガマとチビチリガマを見ました。二つのガマには川が流れ込み、谷底のように深く地面が削られます。1945年4月1日に米軍が上陸した読谷村の同じ波平の集落にありながら500メートルほどしか離れていないこの2つのガマでは住民の運命が分かれました。シムクガマは総延長2,570メートルの天然の鍾乳洞で、ハワイから帰国した2人の村民がいたために米軍に投降し、避難していた1,000人の大半が助かったと言います。一方のチビチリガマでは集団自決により避難していた約140人のうち84名の犠牲者を出しました。チビチリガマは遺族会によって立ち入りを禁じられており、入口にはたくさんの千羽鶴がかけられます。住民が戦闘に巻き込まれた沖縄では、いまだに戦争が終わっていないことを感じます。国民の思考力を奪う情報統制は今も変わらず、むしろ巧妙になりました。惨劇を前に軽々に発言すべきではありませんが、他人に思考をゆだねることは生殺与奪を奪われることと同義なのでしょう。

豊かな日没

水辺の風景のある都市はいくつかありますが、那覇ほどその中心部や歓楽街がビーチに近い場所は稀です。海辺で過ごすメリットのひとつは夕日を眺める時間を持てることでしょう。山でも夕日は見られますが、水平線に大きな太陽が刻々と表情を変えながら没する時間は独特です。夕日を見るのはいつ以来だろうと思います。老いも若きも集まり、それぞれが芝生の上で思い思いに日没を楽しむ時間は豊かです。目の前の平和な光景と激動の世界情勢が同じ時代に起きていることに実感が伴いません。遠くから聞こえるテンポの良い音楽とバーベキューの焚き火のかすかな匂いが夏を先取りします。人生をも変えてしまいそうな穏やかな夕日の輝きは、人間の心に平静を取り戻します。夕日に包まれる荘厳な時間は静けさへの飢えを癒すのでしょう。戦争を起こすのは常軌を逸した狂気であり、平和な日本を守るためには、憲法九条も基地のない暮らしも無力である冷酷な現実に目を向けるべきだと思います。

旅以上、日常未満

那覇の魅力は自然を身近に感じる都市生活だと思います。早くも泳げるビーチまではホテルから徒歩3分で、そこから泊漁港の鮮魚卸売市場や、那覇のヤンバルと呼ばれる末宮でスピリチュアルなアニミズムの世界観に触れ、首里城から石畳の道と昭和の商店街を抜けて戻り、9時に県立図書館に行くのが日課になりつつあります。住宅街では鶏が鳴き、鼻をくすぐる花の甘い香り、木々の強い生命力と超自然的な巨石に圧倒され、自然と繋がる南国暮らしは一つの理想形に見えます。都市生活も手放せない現代人にとって、24時間スーパーが徒歩圏にある那覇ステイは、調和のとれた目的地かもしれません。同業としては喜べませんが、ゲストハウスのドミトリー並みの価格で、一人には過不足ない部屋に洗濯機とキッチンが備わり、フワフワとはいかないまでもリネンを毎日洗濯できます。50型テレビにパソコンをつなぎYouTubeやAmazonプライム、ネットフリックスが見られる環境は自宅と同じで、旅以上、日常未満のワーケーション的施設は増えそうです。

オーダーメイド型観光の時代

花粉症を避けてこの時期に沖縄や南方で過ごす人は昔から一定数いました。避粉地として訪れる以前から、那覇は仕事で最も多く訪れた都市で、写真の県庁に通っていたのは20年以上も昔です。長期滞在型のホテルが多い那覇は、従来の一点豪華主義のリゾート型休暇だけではなく、地域の日常生活に溶け込む生活観光をするのに最適です。「旅と暮らす」の境界があいまいになっても、人は日常ではないどこかを目指したいのだと思います。その街固有の地域性を最も手軽に体感できる場所はスーパーや商店街で、東京では出会わないのに、どの店にも必ず置いてあるお菓子があったりします。観光地と言えない案内板もない二級、三級史跡をめぐるオーダーメイド型観光をGoogleマップは実現してくれます。那覇市内には住宅街の狭い路地の突き当りなど、立ち入れば不審者と間違われかねないような場所に今も人知れず大戦中の避難壕が不気味な口を開けています。家族と行けば批判必至のオタク旅は一人で行くに限るのでしょう。

旅は持病を治す

自宅にいると自分とは無関係に食べ物が家のなかに入ってきますが、旅先では飲食を100%自分でコントロールできます。この機会を利用して長年放置していた逆流性食道炎を治すことにしました。過食とカフェインや刺激物、高タンパク質・高脂肪・高カロリー食品を控えるだけですが食前に漢方薬を飲んでいることもあり、1週間ほどで気にならない状態まで改善しました。旅に限らず年に一度ぐらいは自分の身体をリセットする機会を持つべきだと思います。大半の不調は生活習慣が原因のため自分で治すことができ、持病と化していた腰痛も簡単に治りました。国民皆保険の結果、戦後の日本人は何でも医者を頼るようになり、一方医者は生涯顧客化のために、不調とは一生付き合って行くしかないと吹聴します。受け身の患者は従順に従いますがその大半は嘘で、不調はお金もかからず自分で治せます。自分なりに勉強をして色々な方法を試すことが健康を保つ秘訣だと思います。旅が必要であるとするなら、それは自分の身体を正常な状態に戻すリトリートとしての役割でしょう。

観光がすべてを破壊する

那覇にいる間に見たかったものに、富盛の石彫大獅子、第32軍司令部終焉の地、バクナー中将慰霊碑があり昨日これらをまわりました。富盛の石彫大獅子は戦闘中の米軍兵士と撮影された写真が有名で、そのシーサー像には痛々しい弾丸の跡が残ります。第32軍司令部終焉の地は美しい芝生の公園というイメージしかない平和祈念公園の南端にあり、断崖まで追い詰められた最後の司令部という悲壮感が漂います。バクナー中将は第二次世界大戦中に戦死した米軍最高位の階級の軍人で、慰霊碑は砲撃を受けた小高い丘にあり、死の直前に撮影された写真が知られます。これ以外にも多くの戦跡を訪れ何度も手を合わせる一日でした。どこもその現場に立つと感情を揺り動かされ、同時に新たな発見があります。一方で、有名なのでとりあえず寄った斎場御嶽は興ざめでした。今も信仰の対象となる神聖なる場所であることは確かですが、ガイドの声と団体客のおしゃべりで風情も何もありません。ただ人を呼べば良いという観光の在り方がすべてを破壊すると思います。

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