昨日は近所の日大文理学部で世田谷区の成人の集いがあり見に行きました。英国にいて出席できない娘の保育園時代の友人と十数年ぶりに会いましたが、両親同伴でなければ気づくはずもありません。娘が生まれたときは成人式の時の自分の年齢を考えぞっとしたことを思い出します。年を取れば身体が衰えると当時は信じていましたが、今はその悲観的な信念が必ずしも正しくないと思います。現実を認めたくない単なる思い込みではなく、中年を過ぎて運動を始めたことが幸いしてか、ある種の運動能力は当時より高く、おそらく健康的です。保育園時代の友達の両親も当時と変わらず、先週も会っていたような不思議な感覚にとらわれます。人体の細胞には必ずしもヘイフリック限界が存在せず、テロメラーゼの発見によりわれわれがそこに介入しテロメアの長さを伸ばせることが分かってきたのは最近の話です。自分の成人式の記憶は曖昧ですが、そこから一回りして娘が生まれ、さらに一回りした今、昔に戻りたいとは思いません。さらに一回りか二回りしても今が最高と思える信念があれば身体はそれに応えるのでしょう。