酸欠の金魚

昨日は4ヶ月ぶりに八ヶ岳に登りました。朝の清涼な空気を吸いながら高度を上げていくことに勝る喜びはありません。山に来ると全身が喜ぶのが分かり、同時に都会の空気の汚れを感じます。断食をすると食事を摂ることの体への負担が分かるのと同じです。普段から散歩中に何かを思いつくことが多いのですが、山に来るとその頻度が上がるのは自然のゆらぎと脳がシンクロすることによりインスピレーションを受け取りやすくなるからだと思います。自分は人生でこんなことがしたかったのだ、と直感的に本音が分かる瞬間が時々ありますが、それは決まって自然のなかに身を置くときで、静寂こそが自分自身と世界のありように気づくきっかけになります。自然に帰りたい本能から人は週末の行楽地へ出かけて酸欠の金魚のようにきれいな空気を吸おうとしますが、自然の元で深呼吸をすることの素晴らしさを忘れさせるために、収奪装置としての都市は金と娯楽の力で人を引き留めます。人体は本来野性の環境で能力を発揮するように設計され、自然と共に暮らす恩恵を忘れた現代人はそのわずかな才能しか使わず生きていると思います。

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