「知らぬが仏」は幸せ

「知らぬが仏」は優れた人生訓だと思います。この言葉に続く「知るが煩悩」は日常使いませんが、比較の対象が増えるほど人は不幸を発見します。ぼくは自分の車がフィアットなので、イタリアではフェラーリを乗り回すお金持ちより、フィアットに乗らざるを得ない庶民の方が幸せだという仮説を持っています。フェラーリを持てばフェラーリにふさわしい生活をしますが、フィアットはどう使おうが自由です。幸せと高い相関を示すのは何ものにも拘束されない自由な生き方であり、自分の生活を物に既定されたくありません。運転しても自分の体のように小さく非力なフィアットは生きる高揚感に包まれます。

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