必需品になった嗜好品

週末は久しぶりの快晴で山は賑わいました。良く登る西岳、編笠山は富士見登山口から10kmほどで累積標高1,270m、3時間ほどのトレイルですが、この程度の運動で空腹を感じることはありません。燃料補給なしにどこまで歩けるか試した北アルプスでも、何も食べずに一日歩いてもエネルギー切れを起こす兆候はありませんでした。不食を実践する人は世界に少数ながら存在し、300Kcal程度で一日を過ごすライトイーターなら数十万人規模になり、多くが長年の習慣から嗜好品的に食べていると言われます。確実に言えるのは、お腹が空くことと、食べたいという衝動は無関係で、われわれが感じる空腹は脳の反応です。人は感覚器官が伝える五感を使い生きていますが、空腹は低血糖を脳が感知する内部の反応のために、その実像を知ることを困難にしています。お腹が空いたのではなくお腹が空いたと思っているだけで、胃を満たすためではなく、血糖値を上げるために食べています。食べなければ死ぬという信仰があまりに強いために、嗜好品はいつしか必需品と入れ替わり食べることの意味を変えてしまったのだと思います。

小さい車はストレスも小さい

昨日出先の駐車場で、隣のロットに駐車しようとした車がグシャと音を立てて一台隣の車に後方から突っ込みました。どちらもきれいな大型の高級車で顛末は知りませんが、お互いにとって不快な週末になったことは間違いありません。もう何十年も前にデパートの駐車場で、駐車中の白い巨大なアメ車のフロントフェンダーにめり込む程激しくバックで突っ込む車を見たことがあります。当時はヤクザがアメ車に乗る時代でその車は動揺したのかそのまま走り去りました。バックをしながらの駐車は多くの人にとって苦手種目で、センサーやモニター、自動運転機能が搭載されるようになりました。一方、ヨーロッパの一部の国ではバンパーで他車を押して駐車スペースを確保するなんて話も聞きます。確かにフィアットのバンパーは頑丈に作られていて、かなりの衝撃を伴い後方から追突された時もバンパーに筋がついただけで外見の変形は見られず、一方追突した車はバンパーが変形し左右のヘッドライトが割れていました。軽自動車並に小さいフィアットは、駐車場でも気を使うことがなく人が敬遠する狭い場所へももぐり込め、トラブルに巻き込まれる可能性の低いストレスの小さい車だと思います。

少数にとっては切実

四半世紀使っていた給湯器が壊れて交換してもらいました。冬は氷点下10度を下回る地域なので凍結による破裂を防ぐための水抜き作業が必要です。以前使っていたTOTO製も今のリンナイ製も5ヶ所ほどある水抜きバルブがどうしてこうも手の届かない場所にあり器具を使わないと手の力では回せないほど固いのか不思議でしたが、水抜きをするケースは市場の数%以下でメーカーとしてはなるべく触ってほしくない配慮からこのような設計にしているそうです。数%とは言え日本中の給湯器の普及率からすると巨大マーケットであり、極端に不便を感じているこの数%はロイヤリティの高い顧客になる可能性があるのに、外付け部品を替えるかカバーを付けるだけの簡単な対応をメーカーがしないのは不思議です。統計はしばし嘘をつきますが、平均値的な発想しかできない企業の内向き思考も、失われた30年の原因でしょう。大半の人には無関係でも少数の人にとっては切実なニーズこそが強固な顧客基盤を作るはずです。業界論理に支配されて硬直した発想から抜け出せない企業が多いことは、むしろビジネスチャンスとして喜ぶべきでしょう。

内発的食欲

東京のあまりの残暑に長野県に戻りました。一人なので、デトックスに最適なきのこ汁と炊き込みご飯を作り置きし、あとは豆腐と納豆程度なので、調理はほとんどしません。ネットもつながらない自然の元に来るとあらゆる消費の誘惑を遠ざけることができ、デジタルデトックスは心身のデトックスにもなります。おなかが空いてから食べるようになり、美味しそうだからと家にあるものをつい食べてしまうこともありません。モチベーションに内発的と外発的があるように、食欲にも内発的と外発的があると思います。前者が消化器系のお腹が鳴る反応なら、後者はつい食べてしまう脳の反応です。脳が空腹を訴えるのは血糖値スパイクに伴う低血糖への過剰反応で、SNSのフードポルノを見るだけでも空腹を感じます。内発的な食欲を知る方法は断食ですが、生存本能と逆の価値観を受け入れることは容易くありません。他方で、朝食を抜くだけでも立派な断食になり効果もあります。朝食を抜いた日は昼前にお腹が空かないことを体感できれば、脳のプログラムの書き換えが始まり、脳さえ躾けてしまえば過食に戻ることはないのでしょう。

都市の贅沢品

近所のインド料理店はもっとも足を運ぶ店の一つです。コロナ後初めて行ってみると、以前は活気のある店でしたが客の姿はなく料理人の数も半減していました。飲食店を支援したい気持ちはありますが、食べることに意識を向けると以前ほど多く食べる必要がないことに気づきます。簡単に幸せになる方法は森のなかで深呼吸をすることや、積雪のトレイルをリズミカルに走ることですが、都市に住む限りこれらは贅沢品です。一方、都市で最も手軽に幸せを感じる手段は食べることです。しかし、前者をいくら消費しても有益であるのに対し、食べることは麻薬的で体に負担をかけます。生命を維持し英気を養うために食べるのか、欲に任せて節操なく食べるのかによって同じ行為でも結果は異なります。体型を維持することが難しいのは、深い意識のレベルで正常な食欲をコントロールしなければならないからだと思います。一方、運動を継続することで人生の最盛期を延長できますが、運動を続けることも難しいと言われます。食欲のコントロールと運動を続けることの難しさは同根で、自己の内的探求なしには実現できないのでしょう。

肉体は思いと同調する

長野県と東京の間を移動するのは道路が空いた早朝が多いのですが、昨日は目が覚めると2時過ぎなのでそのまま起き出し東京に向かいました。しかし走っていると明かりのついた家が多いので改めて時計を見ると22時の間違いでした。1時間ほどしか寝ていないのですが、最初の誤解のまま体は朝だと信じているらしく東京まで3時間ほどの道中も全く眠くならずそのまま普通に一日を始めることができます。これは一種のプラシーボ効果で、薬が効くと信じた患者の体は、実際にはその薬を飲んでいないのに自分自身の解釈によって強力な化学物質を生成し薬効を享受できます。心のソフトウエアを書き換えると、かなりの程度体を変えることができると思います。1980年代にハーバード大学が行った研究では、70歳代の男性8人に5日間1959年当時の生活をしてもらうと、握力、機敏さ、聴力、視力など8項目中7項目に改善が見られ外見も若くなり、精神的な選択は器官、組織、細胞を若返らせることが分かりました。意識の深いところで私は若いと思えば若返り、幸せだと思えば、その感情が化学物質であるメッセンジャーを生み出し肉体はその思いと同調するのでしょう。

菅内閣終了?

注目の横浜市長選挙が終わり、お膝元でさえ勝てない菅内閣終了説が現実味を帯びてきました。間の悪いことに首都圏のIR候補地としての是非も注目され、現職と首相肝いりの新人に保守が分裂した結果、人格問題が取りざたされる左派系候補の圧勝に終わりました。選挙と言うと右派、左派という色眼鏡で見てしまいますが、これは民衆を分断する罠であり幻想でしょう。レッテルを貼った瞬間に私たちの思考は不自由になり、本質とは異なるところでイメージを作り上げます。人間を苦しめるのは、自分が何者かを知らないためにエゴの世界に生き、一過性の快楽や実在しない幻想にしがみつき、逆にそれらを恐れることだと思います。対象依存の人は外部の評価で他人の目を通じてしか自分自身を知ることができず、その幸せはいつも条件つきです。巨大化した消費社会にとっては、人々が金や物質主義の対象依存の催眠から醒めないことが重要です。しかし対象物は常に変化するのでこの思考の制約の中で生きる限り、自身の本質を知ることはありません。自分の推す候補者と推さない候補者に対して感じる快・不快の感情が、おそらくは自身の本質なのでしょう。

お告げか思い過ごしか

「夢」という美しい響きの言葉とは裏腹に睡眠中に見る夢は不快なもので、うなされて起きることもあります。子供の頃は誰かに追いかけられるような怖いものが多かったのですが、最近見る夢はそのなかで必死に考えることが特徴で、自分が出した解決策はどこか示唆的です。レム睡眠時に覚醒した脳が記憶の取捨選択をするプロセスで見る映像が夢で、多くの場合支離滅裂な内容ながら、過去の経験をつなぎあわせているので現実の出来事が登場します。前日に考えたことや会話を反映していることが多く、最近見た夢は昔のパワハラ系上司が出て来て自己変革を強要するのですが、これは自分の潜在意識がその必要性を認めているからでしょう。この夢も設定は不自然ながら話の筋が通っていて妙に具体的で、あたかもお告げのように感じられます。ビートルズのヒット曲イエスタデイはポール・マッカトニーが夢のなかで聞いたメロディとされますが、夢は意味のあるメッセージを伝えていると思います。アーユルヴェーダでは睡眠中の夢には心や脳を浄化する作用があると考えますが、不快な夢であれ恩恵をもたらしてくれるのでしょう。

欲しいものが消えていく

好ましい傾向ですが、年々欲しいものが消えていきます。数少ない趣味の自動車でさえ現在乗るフィアット以上の車はないと思っているのですが、先週米国で世界初公開されたフェアレディZは特別な存在です。世界中がカーボンニュートラルを目指すなか、電動化技術に背を向けたV6 3.0リッター405PSのツインターボエンジンと6速MTのFRスポーツカーを市場に出す日産の姿勢に共感しないわけにはいきません。ロングノーズ・ショートキャビンの伝統的なシルエットは初代S30型を彷彿とさせ、往年の240ZGや伝説の432の面影は当時の車好きにとっては手の届く夢のスポーツカーです。インストルメントパネル上の3連メーターも泣かせる演出ですが、何かの間違いでもなければ自分の車になることはないでしょう。わずか75psのフィアットでも700馬力超のフェラーリでも歓びを感じる時の神経伝達物質の分泌量は同じで、運転の楽しさは同じかせいぜい微細な差しかないからです。これはあらゆる商品に言え、朝採れの野菜とミシュラン星付きレストランの料理の美味しさも同じです。付加価値を乗せても人体の反応は同じであり、焦点をあわせるべきは商品ではなく自分の感覚でしょう。

自然は神秘にあふれている

普段は一人で山に入りますが、昨日は妻とラブラドールが一緒でした。八ヶ岳稜線の静かな樹林帯に来ると自分が戻るべき場所に戻ってきた安堵感があります。人間が感じる最も美しい風景は自然の中にあると思います。かつて建築家の隈研吾氏はスリランカの建築家ジェフリー・バワを評して「庭の建築家」と呼びました。そして建築の時代が終わり庭の時代が始まると言ったように、都市の時代が終わり森の時代が始まる気がします。生産手段を持たない都市が生み出せる唯一のものはお金ですが、その前提にあった集積と消費が機能不全を起こすと、人間が本来いるべき場所に戻る時代へと向かうのかもしれません。都市は麻薬的な刺激で人を魅了しますが、自然のなかで感じるフロー的な感覚も脳内の働きはおそらく同じだと思います。どちらも我を忘れ夢中にさせますが、違いはそれが外部から操られた結果か、内部から自然発生的に生まれるかです。都市という閉鎖空間における刺激は洗脳に近いものですが、山を走るときに感じるフローは異次元とつながる感覚です。都市に神秘を感じることはありませんが、自然はいつも神秘にあふれていると思います。

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