先日迎えた誕生日が嬉しくないのは、強制的に年齢を思い出させられるからです。まわりの同年代からは、終の棲家や終のクルマといった物騒な話も聞こえてきますが、元気な80代、90代の人から見れば、自分の年齢などは子供でしょう。仮に終の棲家や終のクルマを考えるとすると、弱気にならないように自分に渇(活)を入れるような苦労が絶えない選択でありたいものです。そう考えるなら、10年20万kmをともにしてきた今のフィアットと、このまま寄り添うことが最良の選択肢になります。その点で、今の自宅が終の棲家にならないのは、飽くなき快適さを求める都市にあるからです。南会津町に買った古民家の以前の持ち主から昨夜電話をいただき、雪下ろしをしてあげるとの有難い話でした。終の棲家とは、日々の当たり前がどれほど有難いかが身にしみるような、自然とともに暮らす住まいのような気がします。