22時頃には寝るようになった今の感覚だと2時以降は朝なので、目覚めた時間に起き出し日の出前にラブラドールと神社に行きます。毎朝神社に行くのは信心深いからではなくそこだけが都会のなかに現れた森だからです。父方の親戚は今でも浄土真宗のお寺を継いでいますが自身は無宗教です。しかし信仰心がないわけではなく、信仰の対象が既存の宗教に向かないだけで、日本古来から続く自然信仰と結んだ山岳信仰には関心があります。多くの人が現代の修験道とも言うべきトレイルランニングに熱狂するのは、600年代後半に生まれたとされる修験道が民衆の自律的共同体の上に形成され、堅苦しさが少ないからだと思います。教団を形成せず経典も教祖もない民衆信仰の立場を守ったために人々に慕われ、人口3、4千万人の明治初期に17万もの修験者がいたとされます。修験道が古くから弾圧され、明治に入り修験道廃止令が出されたのは民衆迎合的なゆるいネットワークが中央集権国家にとっての脅威だからだと思います。もちろんトレイルランニングをする大半の人は修験道とは考えていないはずですがそのストイシズムには信仰を感じます。