無条件に保証された幸せ

日曜日の朝は日本二百名山の毛無山(1,964m)に登りました。雲海に浮かぶ富士の肩から昇る日の出を山頂で迎えるとき心安らぐのは、古来より日本人が自然を神聖視して信仰の対象にしてきたDNAがあるからだと思います。神道のルーツは縄文時代にあるとされますが、水の源であり天と大地が接する山は長らく自然に抱かれる神域とみなされてきました。霊気を感じる山の頂に佇むと、意識して幸せを追求することの無意味さを考えます。一日でもっとも神々しく清々しい早朝を、都市の生活は殺伐とした時間にします。その虚しさを埋め合わせるために、人々はハレ型の幸せの追求という歪んだバランスを取り、これがあれば幸せという幻想に騙されてきました。ハレ型の幸せの問題は何かを手に入れるという条件付きの幸せだということです。日々山に登り今という時間を味わい、無条件に保証された幸せを手にする方が、より人間らしさに根ざした自然な感情だと思います。大脳新皮質が芽生えさせる欲求は、人が知識で生きることに伴う欠陥の一部なのかもしれません。

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