小利口が生きる目的?

一年で最も日中の時間が長い6月に入りすでに今年も半分が過ぎた感覚です。月日の経過を早く感じるのは歳を取ったからではなく生活が単調だからでしょう。やるべきことがないと時間を持て余し退屈するのではなく、何をするのもゆっくりになるので一日があっという間に終わります。近所を歩くと自分の10年後、20年後と思しき人があてもなくただ通り過ぎる人を眺めている光景を見かけます。別の時間に通ってもそこに佇んでいる姿を見ると、リタイアという思い込みの残酷さを考えます。それは生活の一断面に過ぎず必要なルーチンかもしれませんが、その表情は生気に欠けます。昔ならアーリーリタイアが夢でしたが、仕事のある日常こそが生きる力を与えると思います。組織内でうまく立ち回る小聡さが優秀と評価されがちなサラリーマン生活に慣れると、自分は利口であらねばならぬと思い込み、自分の本音ではなく他人の基準で小利口に生きることが目的になります。優秀なサラリーマンのリタイア後が必ずしも幸せとは限らないのは、長年の習慣が自分の本音と居場所を見つけにくくしているからかもしれません。

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