先の見える人生の恐怖感

今日は2002年4月から兼任講師として15年間お世話になった立教大学での最後の授業がありました。130名を超える履修者はぼくが担当したこの15年で最大です。ティーチングジョブは自分自身の勉強にもなり好きだったのですが、ここでキャリアに終止符を打つことは良い転機ととらえています。鉄道会社に勤務した14年、コンサルティング会社の14年の在職期間とほぼ一致し、14、5年というのはぼくにとってはひとつのキャリアを続ける適当な期間なのだと思います。

人間は野生動物としてなるべくエネルギーを使わないで、つまり楽な生き方を本能的に選びますから、今の仕事をそのまま続けることは心地よいものです。そしてアーリーリタイアをしてハワイかシンガポールで安楽に暮らすことを夢見がちです。しかし幸福学の見地からはそうした一見楽しそうな生活が幸せにはつながらないことが分かってきました。

先の見えない人生は終わりのない暗闇を歩いているような恐怖感があります。しかしぼくにとって先の見える人生は退屈で、それ以上の恐怖感があります。先の見通せる人生というのは、あたかも自分の人生がその先で終わってしまうかのような恐怖感があるのです。

新甲子温泉に戻ると、まずはひんやりする源流をラブラドールと散歩します。東京とは別世界の涼しい森を抜け剣桂神社で手を合わせる儀式は、森の生活に戻るルーティーンになっています。

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